Netflixで話題の映画『落下の解剖学』を観ました。
家事の合間に少しずつ観進めていたのですが、「この先どうなるんだろう」と気になって途中で止めることができず、最後まで引き込まれてしまいました。
ただ、見終わったあとに残ったのは、「面白かった」という満足感だけではなく、胸の奥に残るなんとも言えないモヤモヤした感覚でした。
「この映画は結局何を描いていたの?」「犯人は誰だったの?」と、自分の中でうまく言葉にできずに戸惑ってしまったのです。
そこで、色々な考察や記事を調べながら、「あの割り切れない気持ちは何だったのか」を自分なりに一生懸命言葉にしてみました。
事件の真相だけでなく、長年連れ添った夫婦のあり方や正しさの押し付け合いについても深く考えさせられた作品です。
同じように観終わってモヤモヤしている方に、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
映画『落下の解剖学』のあらすじと受賞歴
フランスのジュスティーヌ・トリエ監督が手掛けた映画『落下の解剖学』は、第76回カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞し、第96回米アカデミー賞でも脚本賞を獲得するなど、世界中で極めて高い評価を受けた話題作です。
ちなみに、劇中で重要な役割を果たす愛犬スヌープ(演じたのはボーダーコリーのメッシ)の見事な演技も絶賛され、カンヌ映画祭では優秀な演技を見せた犬に贈られる「パルム・ドッグ賞」を受賞したことでも話題を集めました。
物語の舞台は、フランスの雪山に建つ人里離れた一軒家。
そこで暮らす作家の妻サンドラ、同じく作家志望だった夫サミュエル、そして視覚に障害を持つ11歳の息子ダニエルと愛犬スヌープの静かな日常から始まります。
ある日、屋根裏部屋で作業をしていたはずの夫が転落し、血を流して倒れているのを散歩から戻った息子が発見します。
事故なのか、自ら命を絶ったのか、それとも妻が突き落としたのか。
現場に居合わせた唯一の人物である妻に殺人容疑がかけられ、平穏に見えた家族の知られざる内情が法廷で解剖されるように暴かれていくことになります。
夫の転落死と妻への容疑!事件の概要
夫サミュエルの死をめぐり、警察や検察は早い段階から妻サンドラの犯行を疑い始めます。
屋根裏部屋からの落下角度や頭部の傷のつき方など、物理的な状況証拠からは自殺とも他殺とも断定ができません。
目撃者はおらず、事件当時の一軒家にいたのは、昼寝をしていたと主張するサンドラただ一人。
唯一の同居人である息子のダニエルは視覚障害を抱えており、外で犬の散歩をしていたため決定的な場面を見ていません。
決定的な物証がないまま、検察側は「夫婦関係の破綻による計画的な殺害」という筋書きを描き、サンドラを法廷で厳しく追及していきます。
こうして、家庭という密室で起きた不可解な転落劇は、世間の注目を集める裁判へと発展していきます。
妻は黒か?観客を惑わせる偏見(バイアス)の罠
法廷が開かれると、夫婦の間にあった過去の激しい喧嘩、サンドラの過去の不倫、夫が抱えていた劣等感や挫折といったプライベートな内情が、次々と証拠として法廷に晒されていきます。
冷静で感情を表に出さず、どこか冷淡にも映るサンドラの態度を見ていると、観客である私たちも無意識のうちに「この妻は怪しいのではないか」「何か隠しているに違いない」という心証を抱いてしまいます。
しかし、夫婦喧嘩をしていたことや不倫の過去があること自体は、夫を殺害した決定的な証拠にはなりません。
人間は不完全な情報や断片的な印象から「怪しいから黒(有罪)だろう」と勝手に物語を組み立ててしまいがちです。
この作品は、見る側が無意識に抱く偏見や先入観という心理的な落とし穴を容赦なく突きつけてきます。
「あなたの責任よね」妻の正直さと正しさが生んだ夫婦の溝
劇中で特に強く心に残ったのは、妻サンドラの非常に理路整然とした、率直すぎる物言いでした。
彼女は自分の考えを一切飾らず、嘘をつかずに本音で語ります。
その正直さは一見すると誠実なようにも思えますが、夫婦の会話としては大きな違和感と息苦しさを覚える場面がありました。
象徴的だったのが、過去の諍いの中でサンドラが夫に向かって放った主張です。
「私は最初にこう伝えた。だからその通りにして後で大変になったとしても、それはあなたの責任よね」と言い切るシーンがありました。
論理としては正論なのかもしれません。
しかし、結婚生活を長く続けてきた身からすると、「夫婦って、その時々のお互いの状況や変化に合わせて歩み寄っていくものではないか」と感じてしまいます。
「あらかじめ言ったのだから自己責任」と突き放すような強さは、正しさの押し付けとなり、家庭の空気を支配して知らず知らずのうちに夫を心理的に追い詰めていた一面もあったのではないでしょうか。
子供がいるのですから、なんでも臨機応変に協力すべきだと私は思いました。
結末の真相!白黒つかないパースペクティヴィズムとは
裁判の結末としてサンドラには無罪判決が下されますが、映画の中で夫が屋根裏部屋から落下した瞬間の映像が描かれることは最後までありません。
つまり、観客が一番知りたかった「事故なのか、自殺なのか、他殺なのか」という客観的な正解は提示されないまま終わります。
観終わった直後、私がうまく言葉にできずに一番モヤモヤしていたのは、まさにこの点でした。
「結局のところ、何が本当だったの?」という割り切れない思いがずっと胸に残っていたのです。
映画や物語の世界には、こうした結末を指す言葉がいくつかあります。
たとえば、答えを観客の解釈に委ねる「オープンエンディング」や、提示された謎の答えを明かさない「リドルストーリー」、一つの出来事に対して関係者の証言が食い違って真実が分からなくなる「羅生門効果」といった表現です。
そして、この作品の根底にある仕掛けを読み解く大きな鍵となるのが、哲学者ニーチェが提唱した「パースペクティヴィズム(展望主義・遠近法主義)」という認識論の概念でした。
この言葉を知ったとき、あの言葉にできなかった気持ちの正体が腑に落ちました。
パースペクティヴィズムとは、「人間のあらゆる認識は何らかの視点(パースペクティブ=遠近法)に依存しており、いかなる視点からも独立した絶対的・客観的な真実にはアクセスできない」という考え方です。
たとえば、同じ山を見ても、北側から見る人と南側から見る人では山の形がまったく違って見えます。
どちらも嘘をついているわけではありませんが、自分が立っている位置から見える角度を通してしか山を認識できません。
この作品における裁判もまさに同じでした。
・検察官の視点 有罪にするための証拠や状況を組み立てた世界
・弁護側の視点 無罪を勝ち取るための論理で構成された世界
・妻サンドラの視点 自分の正直さと正当性を主張する世界
・息子ダニエルの視点 両親の不完全な姿を受け止めようとする世界
それぞれの登場人物が、自らの視点から切り取った断片を主張しているため、同じ出来事であっても全く別の物語に見えてしまいます。
この映画は、私たちが普段信じている「客観的な事実」がいかに脆く、人は常に誰かの視点を通した解釈の世界を生きているのだということを鋭く突いた作品だったのだと気づかされました。
不確かな現実を生きる私たちへ!モヤモヤの先にあるもの
裁判の終盤、息子ダニエルは非常に重い局面に立たされます。
真実が誰にも証明できないという現実を突きつけられた彼は、法廷で監視役の女性から「証拠が足りないときは、自分で信じることを決めるしかない」という趣旨の助言を受けます。
完璧な客観的事実などどこにもない中で、彼は自らの意思で一つの解釈を選び取り、証言台に立ちました。
その姿は、私たちが日々直面している生き方そのものを映し出しているようでした。
私たちの日常生活や人間関係、夫婦生活においても、相手の心の中や出来事のすべてを完全に理解できることのほうが稀です。
私たちは常に、不十分な情報や不確かな状況の中で「何を信じ、どう向き合うか」を選択しながら生きています。
『落下の解剖学』を観終わったあとに残るモヤモヤは、単に犯人が分からない不完全燃焼さではなく、「白黒つけられない現実をどう生きるか」という重い問いを突きつけられたからこその余韻でした。
家事の合間に観始めたはずが、思いがけず自分の生き方や家族との関係性まで深く振り返るきっかけをくれた一本です。
答えのない問いに向き合いたいときに、じっくり味わってみてはいかがでしょうか。
ここ数年でベストや。どんなもん食ったらこんなホン書ける様になるの?何感じたらこんな俳優が生まれるの?どう育ったらこんな映画作れる様になるの?150分アっという間や。真実は分からない類の映画じゃねえ。真実は1つ。でもそんな事以上に生きる事を考えさせられる。圧巻!#落下の解剖学 pic.twitter.com/8SyceQIKPY
— 藤井秀剛🇯🇵SHUGO FUJII (@fujii_shugo) February 29, 2024

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